雲母書房
書籍詳細

特別養護老人ホーム幻月苑

阿比聖介 【著】
1,800円(税込:1,944円)
文学
四六判 / 上製
336頁
2008年07月10日
978-4-87672-251-8
4-87672-251-X


三好春樹氏 絶賛!
幻想とリアルが交差する現代古老譚
 
私の作品の登場人物はよく泣きます。あちこちで泣いています。憎しみがあっても、やがてそれは悲しみに変わります。(中略)古老の心的世界は、この世とあの世の往還を果たせる特権を持っていますし、またそれは近代によって死が隠され奥行きを失った「現在」を問題とする現代文学の追求テーマのひとつに近しいものでもあります。だから、小作品の中には幻想的なものが多分に含まれます。(「あとがき」より)

虚構


虹の色


赤い月


淡雪


風の景色


群青


夢月


蟹のかたち


浄域


二人旅


評者:村木哲 (2008年10月25日 図書新聞)
入所者には、切実な、一人ひとりの物語がある
全十編の主人公たちは戦争期を通過してきた

 老人ホームに入居している人々が、主人公として描かれる全十編の短編小説集である。現在、老人病院のヘルパー職にある著者であればこその、体験を活かして表出された世界であるといっていい。
 ところで、老人向け特別養護施設に関してのわたしの拙い見聞のなかで、ひとつだけ驚いたことがあった。施設の職員たちによる入居者への接し方が、まるで幼稚園児に振舞うようにしていたことだ。確かに、心身に障害を抱える老人たちは、時として退行化したような佇まいや言動をする場合があるかもしれない。だからといって、幼児言葉で話し掛けたり、幼児を相手にするような対応をするのは、そもそも転倒している。自分たちより数倍長く生きてきたという体験の深度を考慮に入れれば、人それぞれの性格は措くとして、まず畏敬の念を持つべきではないのかと思った。たまたま知り合いが入所したから、面会に行って知ったわけだが、たぶん、そうしたことは他所でも同様のことなのではないかと推察されたのである。わたしの知り合いは、九十を越えた年齢ではあったが、俳人として高名であり、しかも鮮烈な作品を発表し続けていて、けっして発言や主張に退行があったわけではないのである。独り暮らしをしていたのだが、さすがに高齢になって家事が不自由になり、ヘルパーだけでは間に合わなくなったために入所することになったという経緯があった。だから、実際、施設で考えてもみなかった対応をされたのを見て、いったいこれはどういうことなのだと怒りさえ湧いてきたというのが、ほんとうのところであった。
 入所している人たちが、どんな様態であったとしても、その人たちそれぞれの長い物語というものがあるはずだ。そのことを考えれば、対応の深さというものが、介護する側に当然のように問われることになるといえるし、そのことからしか介護の問題は始まらないのだとわたしには思える。
 実は、この小説集は、そのように編まれているのだ。入所者一人ひとりの物語を丹念に綴って、介護する側と僅かばかりであってもささやかな通交があることで、辛い日々を送った人たちの心が幾ばくか慰安されるというように、描かれている。
 本書の主人公たちは、当然のことながら七十代から九十代までの年齢幅を持っている。ということは、すべて戦争期を通過した人たちということになる。
 開巻の一編、『虚構』はこうである。「敗戦を十六の年に迎え、日本精神の心の領域の多くを奪われていた」橋本勇一は、「大きく動揺したが」、どうにか「背負わされたものを整理して」ようやく辿り着いたと思った場所が、自らの出血と血塗られた地縁を知ったことによって大きく崩れてしまい、以後、「幻聴」に悩まされ続けているというものだ。
 『淡雪』は、元女優の佐城展代の物語だ。男性との数奇な出会いを回想しつつ、最初の男性との思い出に心を馳せて、いまもこうして生きているのだという姿が描かれる。
 千賀子は、警察官僚と結婚、息子二人が学生運動に身を投じ逮捕される。夫は息子たちの信義を認め庇うが、警察職は辞する。だが、やがて急死する。二人の息子のうち長兄は長い刑期もあって、精神を病み、事故か自殺か不明のまま溺死してしまう。
 「人には苦しみがあります。わたくしのようにたくさん苦しんできた人間も、もっともっと苦しんできた人間もいます。そんな人間達の上を風が吹き抜けます。そして、見ようと思えば風の景色がいつでも見えます。これが見えれば、どんな現実もそれとして心の中に残り続けます」
 「わたしは現実を忘れません」
 「現実を忘れることは、その中で生きて苦しんだ人のことを忘れることですから」
 千賀子にこう語らしめているのが、『風の景色』という一編である。年齢を重ねるに従って過去への執着がなされるなどといった軽視した見方をされがちだが、それは違うと思う。自分のそれまでの人生は誰にとっても切実なものである。それを大事に思わない方が、おかしいことなのだ。

 「『現在』はとても残酷で、老人の経験やその人生観を無価値にさせようとするベクトルが強く働きます。時間の流れが速すぎます。(略)古老の心的世界は、この世とあの世の往還を果たせる特権を持っていますし、またそれは近代によって死が隠され奥行きを失った『現在』を問題とする現代文学の追求テーマのひとつに近しいものでもあります。」

 著者は、「あとがき」でこのように述べている。確かに、老いの問題はもはや普遍課題だといっていい。確実にやってくる「死」を前にして、心身の衰えを自分自身がどう引き受けていくかという難題は、なかなか通路の見えないかたちになっている。だが、一人ひとりが生きてきた人生というものは、どんなものであっても、何よりも価値があり意味があることなのだ。また、たとえ心身が衰え、死が近くなったとしても、それでもなお、生き切ることによって、“老いという難題”は越えうることになるはずだといいたい気がする。




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