雲母書房
書籍詳細

ケアの宛先
臨床医、臨床哲学を学びに行く

鷲田清一 【著】、徳永進 【著】
1,700円(税込:1,836円)
介護全般
四六判 / 並製
264頁
2014年06月15日
978-4-87672-333-1
4-87672-333-8


ケアって、一筋縄ではいかない。だから、おもしろくて深い。マニュアルやコンプライアンスに縛られたり、息苦しさを感じている対人援助の現場にホスピタリティあふれる言葉を届けます。〈臨床の知〉をめぐる軽妙洒脱な対話!

〈プロローグ〉交感するケア
おばあちゃんの朗読/迷惑かけてありがとう/言葉を掴まずに聞く/心はどこにあるのか/心を見ることは可能か/生活臨床という方法/〈弱さ〉のちから/痛みと快感

第1章 ベッドサイドからの哲学
京都への愛憎/地の言葉=方言の魅力/「はらわた語」について/「わかる」と「納得できる」/謝る作法/「土下座」の演劇性/もめ事の収め方/テキストとテクスチャー/哲学との出合い/正義至上主義への懐疑/「端緒が更新される」という経験/社会のベッドサイドにいること/哲学を汲みとる/現場から生成する哲学/鶴見俊輔の言葉から/二重性のままの解決/がん告知の功罪/「相対的にベスト」という選択/2・5人称という立ち位置

第2章 ケアを語る流儀と作法
瀬戸際のコミュニケーション/手のひらに描かれた「○」/ぐずぐずする権利/病室の空気が知っていること/気配を察知する力/「徴侯知」について/スポーツとケアの類似性/野球は役人的なスポーツ/理想的なチームのサイズ/演劇と動物から学ぶこと/父親の死について/臨終のことば/「死者を育てる」ということ/〈死〉を典型化する/フィールドワーカーの矜持/残された問題

第3章 〈死〉の臨床とユーモア
彼岸の意味/無呼吸の試練/哲学の長いトンネル/知識や技術を棚上げする/「宛先」の消滅/ちぐはぐな身体/「老病死」を取り戻す/笑いは死を受け入れやすくする/無差別微笑期について/24時間要介護というプロセス/プロの技としてのミニマムな表現/臨床にあふれる否定語/嫌いな臨床言葉/チーム医療・チームケアへの違和感/「パート」の二つの意味/「心のケア、お断り」という貼り紙

第4章 在宅という鉱脈[症例検討]
医療よりケアが大事/リーダーの三条件/他人に身を任せる技術/逸脱するヒトの「食」と「性」/喧嘩の効用[症例検討1]/胃ろうと延命[症例検討2]/生きることと生かされること/「合理的失敗」について/思いがけない医療者への謝辞[症例検討3]/手作り介護用品のぬくもり[症例検討4]/「在宅」という宝庫

〈エピローグ〉発酵する知
ファッションにはジャストフィットはない/正義は暴力に転化する/愉快なことをまじめに書く/言葉にはグラデーションはない/「自由」と「責任」の語源/語源からたどる西洋と日本/ふくらし粉の思想

評者: (2014年7月13日 共同通信配信:全国の地方紙に掲載中!)
老い、病み、死を迎える人の横にいて「支えたい」と思うケアの心は誰にでもある、と徳永。鷲田は、人はそんな働きかけを受ける「宛先」となるとき、自分に魂があるのを感じられると語る。
ホスピスケアを行う診療所で多くの死をみとった臨床医と、対話の中から哲学をくみ取る臨床哲学に取り組む哲学者の対談。
がん告知や臨終などの具体例と観念の間を往復し、考えつつ進む命のレッスンだ。
脱線気味のおしゃべりが軽妙で、ケアという言葉を取り巻く重苦しさを軽くする。


日本赤十字看護大学名誉教授 健和会臨床看護学研究所所長評者:川島みどり (2014年10月1日 看護実践の科学 10月号)
共感とか共苦・共有といった言葉を反芻しながら被災地に足を運ぶようになって3年、被災と未災の立場の隔たりを絡めるのは容易でないことを実感しつつ歩いてきた。ようやく馴染みの関係ができたと思うと、今度は日常語という大きな垣根に遮られる。テレビの普及のおかげで東京住まいの私たちの言葉が通じないことはまずないが、遠慮の壁を取り払ったお国言葉は聞き取るだけでも容易ではない。まなざしや口元から真意に近い内容をくみ取った感じがしても、本書で語られているような言葉の肌理(きめ)などには到底近づくことはできそうもない。
 それだけに「ベッドサイドや介護現場で日々おこっていることの中から言葉をくみとっていく態度こそ臨床を哲学すること」との言葉が心に泌みた。哲学することとケアの交差を考える臨床哲学者と、経験を重ねながら臨床のリアリティを今なお描き続ける医師の対話から成る本書は、言葉を話題にした言葉がびっしり詰まっている。喜怒哀楽に満ちて動き続ける現場の物語と抽象が行きつ戻りつし、思いがけない新しい言葉がぴょいぴょい飛び出す。かと思うと「あたりまえ」とか「ちぐはぐ」など使い慣れた言葉なのに何と新鮮なことかと驚きもする。それは、「ありふれた言葉には歴史の重みが乗っかっている」からであるらしい。「心って何処にある?」「多分ね、自分が何かの『宛先』になっているときに自分で感じられるんだと思う」といったやりとりから、その意味を直ぐに理解するのは難しい。でも、お二人がふつうの語り口で親しく語る場の雰囲気が心地よく、引き込まれてともに考えたり笑ったりしてしまう。
 本書の宛先の1つは、看護師や介護職者だろうと思いながら、生真面目さでは他にひけをとらないわが看護集団が、この対話をどう読むかも興味のあるところ。同職者として、言葉の奥に潜んでいる真意や言外の意味を理解する力はあまり強くないのではないかと思う。そこでまず、肩の力を抜いて看護の裃を脱ぎ知識は棚上げにし、お二人の醸す空気を想像しながら、そのイントネーションを再現しつつ読んでみよう。引用される言葉の範囲も広く、成り行きで突然生まれたような言葉が幾重にも重なって、まるで言葉のスクランプル交差点に投げ出される感じもするが、これに惑わず読み進めたい。さりげないながら蘊蓄に富んでいる言葉のシャワーを存分に楽しもう。
 そして、一読した後「ケアの宛先」に込めた意味をみんなで語ってみてはどうだろう。




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