雲母書房
コラム

高岡健


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(73)テレビ報道論
2015.05.07
▼私は以前から、テレビ朝日の番組「報道ステーション」を、ときどき見ていた。(より正確に言えば、昔の「ニュースステーション」の頃からの慣性で、漫然と眺めていたに過ぎない。)だから、2015年3月27日の古賀茂明と古館伊知郎のやりとりも見ていたが、そのときはよく事情がのみこめなかった。
いま、4月6日付「毎日」に基づいて、改めて番組での古賀の発言を確認してみたところ、以下のとおりらしい。

▼「テレビ朝日の早河(洋)会長と(番組の制作に協力する)古館プロジェクトの会長の意向で今日が最後なんですけど〔中略〕菅(義偉)官房長官をはじめ官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきたが〔後略〕。」「古館さんは言いましたよね?私がこういうふうになる(降板する)ことについて『自分は何もできなかった。本当に申し訳ない』と。(楽屋でのやりとりは)録音させていただきました。」「プロデューサーが今度更迭されるのも事実です。」

▼古賀に対し、古館は「今のお話は承服できない。テレビ側から降ろされるというのは違うと思う。」「更迭ではないと思いますよ。私は人事のことは分かりませんが。」などと反論している。ちなみに、「人事」とは、番組担当のチーフプロデューサーとコメンテーター(「朝日」論説委員の恵村順一郎)の交代を指すのだという。

▼一視聴者としての無責任な感想を述べれば、「古館プロジェクトなんてものがあるんだね」というところからはじまり、「あの官房長官の顔つきからみると、陰険な嫌がらせはありそうだな」「古館が楽屋で何といったか、興味本位だが録音を聞きたいね」といった程度に尽きる。久米宏の「ニュースステーション」とは違って、古館の「報道ステーション」は、はなから体制批判などを放棄した、エコロジー番組にしか過ぎないからだ。(もっとも、少し前まで二言目には「地球温暖化」と喋っていた古館が、こころなしか最近はこの言葉を放つ回数が減っているように感じる。もし本当に減っているのなら、番組への「圧力」は、確かにあるのかもしれない。もちろん、「圧力」が政治筋からなのか、科学筋からの正当な指摘なのかは不明だが。)

▼古賀にしても同じで、ソフト構改派もどきの時事解説をしていただけだから、この人のコメントが聞けなくなることに、視聴者としての損害はない。むしろ問題の本質は、極めて単純だ。それは、「報道の自由」とは「報道の取り締まり」の前提にほかならないという事実である。テレビで(新聞でもよいが)自由に喋ることが認められているのは、そうさせておいたほうが取り締まりやすいからに過ぎない。もし、テレビ(や新聞)側が取り締まられたくないなら、先手を打って自主規制するしかない。こういう単純で情けない構図が本質なのだ。

▼だから、今回のように発言自体は大した内容でなくとも、自主規制が機能していないとみなすや否や、新保守主義政権はとんでもない動きをする。テレ朝広報部は「ご指摘のような事実はない」とし、会長は「圧力めいたものは一切なかった」と自民寄りの釈明をしているにもかかわらず、自民・情報通信戦略調査会は、(NHK「クローズアップ現代」問題=後述=と併せ)テレビ局幹部からの聴取という「圧力」をかけた。もっとも、テレビ側は自民よりも先回りして、これもまた「圧力」ではないと「自主」的に述べるに違いない。実際に、彼らは自民からの事情聴取を拒否するどころか、テレ朝専務は「いい機会だととらえて」聴取に応じ、NHKの「ある幹部」は、「説明責任を果たすことは必要で、介入や干渉とは思わない」などと、すでに釈明し始めている。

▼さて、自民があげつらう「クローズアップ現代」の報道とは、昨年の番組でブローカーとされた男性が「ブローカーではない」と訂正を要求したことから、番組における「やらせ」の有無が問われている問題を指す。ここでも一視聴者としての無責任な感想を述べれば、自民は何とも狭量になったものだという点に尽きる。籾井勝人らの下品な茶番劇を擁護している狭量さと、釣り合っているということだ。はっきり言っておくが、「やらせ」が大きな問題となりうるのは、それがファシズムの下での情報操作と相即的だからだ。だから、「やらせ」を批判しうる者は、ファシズムを拒絶する者以外ではありえない。

▼あろうことか、自民はBPO(放送倫理・番組向上機構=NHKと日本民間放送連盟が設置した第三者機関で、視聴者などから指摘された番組の問題点について検証する)に政府が関与する仕組みを検討するといいはじめた。組織の本来の存在理由を捻じ曲げ、権力の都合に合わせて再編する手法は、ソフトファシストの常套手段だ。そうすればソフト構改派あたりはすぐにでも押さえられる。そういう下卑た考えが透けて見える。

▼そもそも、この動きの出発点は、菅官房長官の「放送法という法律がある」との発言だった。放送法は、番組編集について何人からも干渉されないと定めている。ところが、他方では報道は事実を曲げず、意見が対立している問題については多くの角度から論点を明らかにすることと定められているから、それを利用すれば「干渉」にあたらないと、政府もテレビ側も強弁するのだろう。ここにも、ソフトファシストと、それにおもねるメディアの構図がある。「報道の取り締まり」を容易にするために泳がされてきた「報道の自由」。そこを知ってか知らずにか、勘違いをしていたマスメディア関係者が、ひとたび職を解かれたとき、どう振る舞うのか――「放送倫理」の局面はそこまでさしかかっている。
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