雲母書房
コラム

高岡健


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(76)明治産業革命遺産論
2015.07.08
▼「明治日本の産業革命遺産」の、世界遺産への登録が決定したと、報じられている(2015年7月6日各紙)。まずは、めでたい話だと言ってよいだろう。
報道によると、産業革命遺産を構成する施設は、萩反射炉をはじめとして、造船・鉄鋼・機械・石炭などの、23か所だという。日本社会の中で、第二次産業の占める割合が、50%を割り込み低下する一方である現在、なるほど「遺産」として位置づけられるのも、もっともな状況ではあろう。

▼上記23か所中、三菱長船関連のうちの3か所、高島・端島・三池の各炭鉱、そして八幡製鉄所を、韓国は問題視し登録に反対していた。第二次大戦中の朝鮮人強制徴用が、反対の理由だったという。世界遺産委員会における審議に先立ち、韓国の百済歴史遺跡地区の登録と明治産業革命遺産登録の相互協力が、日韓外相会談で合意していたはずだったにもかかわらず、登録決定は1日遅れた。事前合意には、強制徴用という「負の歴史」について、日本側が言及することが含まれていた。ところが、その文言の英訳を巡って日韓の意見が対立し、登録決定が遅れたのだという。

▼いま改めて、日本政府代表団の声明文を眺めてみると、「Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s」となっていて、「1940s」を入れることで、強制労働は遺産の対象年代(1853年から1910年)以降だから問題にしえないという日本政府の主張を、反映させていることがわかる。同時に、「forced to work」とともに「requisition(徴用)」という言葉も用いられていて、国民徴用令(勤労動員)の対象者に途中から朝鮮人労働者を加えていった過程を、強調しようとしている。

▼外交力の貧困ゆえに直前まで縺れ込んだものの、まずまずの線で折れ合った表現だと思う。これでいいのではないか。ネット右翼もオールド左翼も、とりたてて騒ぐほどの文言ではない。大事なことは、近代産業化がうみだした建築やそれらの遺構には、様式美につながるような正の記憶とともに、血と汗と涙を不可欠とする隷属と闘争の歴史が、単に負の歴史という言葉では収まりきれないような形で、必然的につきまとっているという事実だ。また、それは、「1910年まで」といった線引きで、恣意的に区切ることはできないという事実だ。実際、三菱長船第三労働組合闘争や三池炭鉱闘争までをも含めて位置づけるときにはじめて、真実に近い歴史が浮上してくるだろう。だから、世界遺産登録後の施設整備には、大戦中の朝鮮人労働者に関してはもとより、戦後の日本の労働運動までをも射程に入れた展示があったほうがいい。

▼ところで、井上光晴の小説「妊婦たちの明日」は、二日に一度しか出港しない水中翼船で、「私」が、炭坑がつぶれた「戸島」へ渡る場面からはじまっている。「私」が渡った「戸島」は、次のような場所だった。《「桜ヶ丘社宅。もとは本坑の古いもんが住んでいたところ」私がきょろきょろするのをみて、女は説明した。・・〔中略〕・・すみれヶ丘社宅と同じく窓硝子は一枚もなく、アパート全体がさながら銃眼と化してみえたが、私はそのうち、その銃眼という銃眼からなんともいいようのない臭気が襲いかかってくるのに気づいた。ボタからでるガスではない。鼻からではなく、口から直接胃袋に入ってむかむかさせるような匂い。》この廃墟のような社宅にいる「女」は皆、妊娠していた。そして、窓硝子のない部屋に入りこむバカ鳥やネズミを追い払うための竹の棒を持っていた――。

▼「戸島」が、いまや世界遺産に加えられた、端島(軍艦島)をモデルにしているのかどうかは知らない。だが、執筆時の小説家の頭の中には、何十年後かに「戸島」に似た島が世界遺産に登録されるだろうという予測は、とうてい浮かんでいなかっただろう。では、もし小説家が今も生きていて、端島が世界遺産に登録されると知ったなら、どう発言するだろうか。登録に反対するだろうか。そうではなく、案外、自分の小説を売り込むかもしれない。(私は決して揶揄して言っているのではない、念のため。)そして、小説家としての自分の想像力の産物を、単に負の歴史という言葉では収まりきれない記憶遺産として展示せよと、提案するかもしれない。もちろん、あくまで想像力が産みだした仮構の記憶だが、真実以上に真実だと、冗談なのか真面目なのかわからない口調で、主張するかもしれない。

▼世界遺産を訪れる民衆は、ことさらに歴史を学ぶとは限らない。もちろん、アウシュビッツのような、夾雑物のほとんどない保存・展示・案内方法を用いれば、いくら私のような怠惰な人間であっても、思わず居住まいをただしてしまう。しかし、仏閣その他の遺跡だと、物見遊山になってしまうのは、いたしかたない。それでも、観光客としての私は、なけなしの想像力をはたいて、仏閣周辺の歴史を視ようとするだろう。

▼では、観光客としての私が産業遺跡に求めるものは、日本政府や韓国政府が解釈した歴史だろうか。もちろん、そうではない。かつての仏師が釈迦如来を彫り出した過程を想像するように、有名無名の技術者たちが産業機器を創り出した過程を想像して、私はこころおどらせるに違いない。同時に、創った機器をつうじて疎外された労働を強いられた、私たちの祖先にも思いをはせるに違いない。そのような自由な想像が可能になったと判断される時期が到来してはじめて、遺産の登録が民衆により支持される。明治産業革命遺産群に関しては、その時期が到来したと考えてよい。
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