雲母書房
コラム

高岡健


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(63)寺山修司小論
2013.07.02
▼寺山修司の没後三〇年にあたる今年(二〇一三年)は、最後の歌詞発見(五月六日「毎日」)だとか、田中未知所蔵の未発表ノートを早大演劇博物館に寄託(六月一三日「日経」)といったニュースが、相ついでいる。あわせて、彼の劇の再演や、映画の特集上映といった話題にも、ことかかない。もちろん、それだけの価値があるからだ。
とくに熱心なファンではなかった私なども、特集上映の一部を観て感慨を新たにしたあと、彼の短歌を少しだけ読み返してみたりもした。

▼実験映画に分類される作品の中には、残っていた記憶がよみがえるもの(「トマトケチャップ皇帝」など)もあったし、記憶が定かでなく、あるいは当時は見逃していたのではないかと思えるもの(「疱瘡譚」など)もあった。いずれにしても、映像にする前に言葉によるモチーフが一つだけあって、そのモチーフの範囲で観客が想像力を往来させる点に、寺山の実験映画の特色があると感じた。その意味では、当時も今も、新しさや同時代性とは別の領域に属する作品群であることだけは、間違いないと思う。

▼同名の歌集と同じく、映画においても寺山の代表作品といってよい『田園に死す』もまた、新しさや同時代性とは別の領域に属する。恐山近くの村で母と暮らす中学生が、隣へ嫁入りしたばかりの人妻と家出をする。しかし、人妻は本気で中学生を相手にしていたわけではなく、別の愛人と心中してしまう。その後、中学生は、「二〇年後の自分」と出会った。「二〇年後の自分」は、過去の自分である中学生が母を殺したならどうなるかを知りたくて、やってきたのだった。しかし、母を殺すことはできなかった――。

▼何割かの事実と何割かの虚構が、ないまぜられているのだろう。寺山ファンのあいだでは周知の事実らしいが、寺山の履歴自体にも、事実と虚構がたぶん意図的に混淆されているのだという。(詳細を私が知ったのは、小川太郎の『寺山修司 その知られざる青春』によってだった。週刊誌編集の経験が良い意味で反映された、面白い本だと思う。)とりわけ出自をめぐる虚構は、寺山にとっては母の呪縛からの脱出と、表裏一体だったようだ。

▼こころみに、母を詠んだ寺山の短歌から、いくつかを抽出してみる。「冬海に横向きにあるオートバイ母よりちかき人ふいに欲し」「銅版画の鳥に腐食の時すすむ母はとぶものみな閉じこめん」「わが喉があこがれやまぬ剃刀は眠りし母のどこに沈みし」「田園に母親捨ててきしことも血をふくごとき思ひ出ならず」「山鳩をころしてきたる手で梳けば母の黒髪ながかりしかな」――。こう並べてみると、これらは寺山の歌の中でも、とりわけ高い水準というべき作品であることがわかる。しかも、相当に残虐な響きがある。現実に残虐になろうとしてなれなかったぶんだけ、歌の世界では残虐に詠もうとしているかのようだ。

▼母のモチーフは、歌集『田園に死す』の中でも繰り返されている。たとえば、「売られたる夜の冬田へ一人来て埋めゆく母の真赤な櫛を」「亡き母の位牌の裏のわが指紋さみしくほぐれゆく夜ならん」――。では、これらの歌を歌のままにとどめおかず、映画を創るということは何を意味するものだろうか。寺山は、吉本隆明との対談(「死生観と短歌」『素人の時代』所収)の中で、次のように語っていた。「短歌というのは、ある種の類感呪術というか、こっちで一人の男の腹を五寸釘でどんと打つと、向うの三人くらいの男がばたんと倒れる、ふしぎに呪術的な共同性があって、それは吉本さんが書かれた『共同幻想論』でもとらえがたいような、怪異なものという感じがします。」「ぼくは、要するに短歌のもっている自己回帰性というか、自己模倣性とかは、結局ダイア・ローグ(ママ)が成立しないからだとかってに考えて、それで演劇をはじめたわけです。」

▼誤解はないと思うが、寺山の映画は天井桟敷の延長上に創られているから、この演劇についての寺山自身による説明は、彼の映画についてもあてはまる。上記対談の中で寺山は、「肉親の血の因果律」を変えることと、短歌様式が自らを殺すことを、同じ位相で論じている。そこに寺山の問題認識があったと考えざるをえない。こうして、自らの短歌作品がちりばめられた映画「田園に死す」は、寺山自身の短歌を殺す役割をも担うことになった。「短歌様式そのものが、自らを殺していくエネルギーとして現出してこない限りは、老いの歌と、青春の歌との輪廻を繰り返すだけに過ぎない」というのだ。

▼ちなみに、あくまで私見に過ぎないが、このような寺山の問題認識には、自死した岸上大作を意識した面もあったかもしれない。岸上は「寺山修司論」を著し、「短歌研究」に記された寺山の主張を「短歌はリズムによって社会性を獲得する」と要約した上で、リズム論と密着して「われ」を設定することを批判しているからだ。(もっとも、この寺山批判が、岸上の寺山作品に対する畏敬と同居したものであることは、論をまたない。)

▼とはいえ、寺山の「青春の歌」は、そうたやすくは死なないだろう。有名な「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」をはじめ、「吊されて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲエネフをはじめて読みき」「失いし言葉かえさん青空のつめたき小鳥撃ちおとすごと」などの秀歌が、すでに寺山の初期歌篇には登場している。受験雑誌への投稿から出発した寺山は、プロフェッショナルの歌人となった後に、今度は受験雑誌の短歌欄の選者をつとめていたはずだ。才覚が皆無の私は、一度も投稿したことはなかったが、学習研究社(旺文社だったかもしれない)の高校生向け雑誌を買うたび、いつも真っ先に寺山修司選の投稿欄を読んでいた。
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